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伴野氏館跡

 この傾斜面と下の平面にかけて小字「殿屋敷」の地割となっている処が伴野氏の館跡地(屋敷跡地)である。
 伴野氏は大伴氏の一族が五世紀の始め頃土着し、この地を「伴野」に、自らは伴野氏と称し領した。はじめ段丘上に住んだが、その後段丘の麓に住み、地域の開発を進めた。やがて朝廷の声がかりもあって、伴野郷は上西門院(じょうさいもんいん)領伴野庄へと発展した。
 戦いの時には伴野殿として、伴野氏館から出陣していた。天正10年(1582)伴野城主伴野半左衛門は、離反した小川城主羽生佐中を取り囲んだが、復帰してきた知久氏の大軍が佐中を支援したため敗退した。館・城等は放火破壊された。江戸時代寺社御開帳には「半左衛門を武神、名所殿屋敷と申し伝えている。」と書かれている。

(平成21年1月)

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