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知久頼康と武田信玄激戦地跡

 武田信玄は、将来伊那路を通過して東海地方の攻略や上洛をするために、伊那路の大小の城主を従わせる必要があったが、どこまでも抵抗したのは、神之峰城主の知久頼元(よりもと)であった。
 時は天文23年(1554)夏の事。知久氏は、武田軍が川幅の広く浅瀬が広い市田出砂原から天竜川を渡り、伴野本郷から知久本郷へ攻め来ることを察知し、頼元は長子頼康に軍勢を率い、伴野本郷南堂横に本陣を置き、武田軍と対峙させた。
 武田軍は、神社・仏閣を始め民家等を焼き払い、知久軍を攻めたて激戦となった。頼康は討死し知久軍は敗北した。神之峰城にこもった知久軍は、兵糧攻めを受けて一旦滅亡したが、信長に仕え知久郷に復帰を果たした頼康の弟頼氏(よりうじ)は、南堂に五輪塔を立て頼康等を供養した。

(平成20年11月)

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